神様の作品に失敗は一つもない

(C.N. 40代 シスジェンダー・ヘテロセクシュアル女性)

 私は3代目クリスチャンです。ゆえにコテコテのクリスチャン脳です。笑

 教会の中で育った私は、幼少の頃から聖書の教えを学び、沢山の奉仕をする忠実な僕(しもべ)のように成長していきました。

 私はノンクリスチャンの男性との結婚を機に転勤族になりました。転勤する先々で教会を探し、毎週日曜日の礼拝、祈祷会にも積極的に1人で通いました。奉仕も熱心にしました。今までに約10ヶ所くらいのプロテスタントの教会に通いました。どこも素晴らしい教会でしたが、残念ながらどの教会も同性愛に対して寛容ではありませんでした。私自身も同性愛は悪いことと知識的に思っていました。

 私が20歳の時、神様は1人のノンクリスチャンのレズビアンと名乗る友達との出会いを与えてくださいました。彼女とは普通の友達と同じように仲良くなり何の違和感もなく一緒に遊んでいました。

 彼女を通してレズビアンが集まるお店に行く機会も増え、自然とレズビアンの人たちの話を聞くようになりました。さらに転勤で新宿に行くことになり、みんなとどんどん仲良くなっていきました。

 それまでの『同性愛』と言う単語がどんどん『1人の人間』に姿を変えていきました。みんな私と同じように人間関係や恋愛で悩み、誰かを愛し、誰かに裏切られ、誰かに愛されたいと願う。一つ違うのは、その恋愛対象が同性と言うこと。それがそんなに悪いことなのか。私の中に疑問が湧いてきました。そのモヤモヤは日々大きくなっていきました。

 

 私自身、人間失格、クリスチャン失格。という行いをたくさんして生きてきました。でもイエス様はボロボロの私を見捨てるどころか、いつも味方でいてくれた。受け入れ赦し続けてくださった。あのイエス様が本当に人を否定したり拒絶するようなことを言うだろうか?

 自分で自分を否定してしまう相手にさらにダメ出しをするだろうか?

そもそも救いは無条件じゃないの?という疑問に変わっていきました。

 

 そんな問いに、祈りに。ある日神様は一つのみ言葉で答えてくださいました。『陶器が陶器を作る者に抗議するように自分を作った者に抗議する者。粘土は形造る者に、「何を作るのか」とか、「あなたの作った物には手がついていない」などと言うであろうか。』(イザヤ書45章9節)

 このみ言葉を読んでハッとしました。自分や他人を良い悪いとジャッジするのは私のすることじゃない。やめよう。自分に対しても、LGBTQに限らず誰に対しても全ての人は神様の最高傑作なんだ♪ 神様は1人1人を神様の計画、目的、デザインに従って造られたのだと考えれば良いのだ! と思ったら、モヤモヤが無くなりました。それから私はどんな人も神様の素晴らしい作品として、存在として向き合えば良いのだと思うようになれました。

 今はクリスチャンのLGBTQの仲間も与えられ、自分も良い子を演じることなく、また主人がノンクリスチャンなのも、子供がいないのも、色々少数派なのもありのままで神様の前で人の前でも生きられるようになりました。最高のデザイナーである神様をほめたたえます!!

約束の虹ミニストリー

性的少数者と共に祈るキリスト教ベースの活動、 『約束の虹ミニストリー』のホームページです。