君は愛されるため生まれた
(60代/FTMわたるの母)
わたるは我が家の次女としてこの世に生を受けました。幼い頃から三輪車で爆走したり、ミニ四駆に夢中になったり、男の子たちと遊ぶ方が楽しそうでした。長女とBarbie人形で遊ぶ時もいつもKenの人形を握りしめていたことを思い出します。幼稚園、小学校といつも友達に囲まれ、周りの人たちに可愛がられる子でしたので、育てるのは楽だったと思います。
中学2年の時、めずらしく早く学校から帰宅する日が続きました。聞くと、クラスでレズビアンだという噂が流され、全員から無視されているとのこと。イジメにあっていたのです。泣き腫らした顔で苦しそうに眠っていたあの子の顔を私は今でも覚えています。
わたるは私の子供であったと同時に私の1番の信仰の友でした。2人でみことばを読み、祈りました。祈りは聞かれ、ほどなくイジメは止みましたが、あの子の抱えている悩み苦しみは決して消えなかったのです。わたるは性同一性障害、FTMでした。わたるにとっては女の子を好きになる事はごく自然な事だったのです。
のちにわたるの証を聞きました。セクシャルマイノリティとしての生きづらさと同時にクリスチャンとしての苦しみが大きかったのだと知りました。聖書によると自分は神様の子ではなく、悪魔の子なのだと、教会にいてはならないのだと思い込んでいたというのです。礼拝中なぜか唇をギュッと結んで苦しそうな顔をしていたことを私も主人も知っていました。それなのにあの子の苦しみを少しもわかってやれていなかったのです。母親失格です。カミングアウトの後、主人はポツリと言いました。「ひとりぼっちで小さな胸をずっと痛めていたのか。」と。
牧師でもある大学のゼミの先生との出会いによって、わたるはトランスジェンダーとしての人生を歩み始めました。4回生の12月、大学の礼拝堂で、先生を中心としたゼミ生主催の、多様な性を祝うための礼拝が行われました。その中でわたるは新しい性として自分の人生を輝いて生きる、という誓いを神様のみ前で、会衆に見守られながら立てることができました。私たち夫婦も長女も私の父である祖父も列席しました。その時にみんなで賛美した「君は愛されるため生まれた」。涙が後から後から流れました。
男性社会人としての生活をスタートしたわたるは、修養生(牧師のタマゴとして教会などで研修中の神学生)として留架くんが私たちの教会に来てくれて証をしてくれたことに力を得て、牧師夫妻の理解の元、母教会の教会員の前で自らのジェンダーについて証をする事ができました。誰もがみんな声をかけてくれて励ましてくれて感謝でした。
わたるという名前は私が陣痛のさなかにつけた名前です。実は主人が女の子の名前しか決めていなかったため、男の子だったらかわいそうと思い急遽考えました。不思議なことにお腹の中にいる間はずっと男の子だと思っていました。生まれてきたら女の子だったのでびっくりしましたが。母親の勘だったのでしょうか。その名前を名乗ってくれていることがとてもうれしいです。
今は我が息子となりましたが、女の子として生まれ男性として生きる自分の人生を、全てひっくるめて、愛して生きているその姿を見ていると、ただただ神様への感謝しかありません。同じような悩み苦しみを抱えて生きている子供たちに遣わされたいと願って生きるその人生を、祈りを持って支えていきたいと心から願っています。
父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。私が父の戒めを守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる。
ヨハネによる福音書 15:9,10
私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。
ヨハネによる福音書 15:12
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