セクシャルマイノリティの子をもった親として

 (わたるの父)


  わたるについて述べる前に私の家族構成につき記させていただきます。私には兄が1人いて2人兄弟の次男として小中高を東京都新宿区四谷で育ちました。

  今は神奈川県に住んでいます。大学卒業後社会に出て食品会社に勤め、駐在員としてアメリカのロスアンジェルス生活16年の経験があります。1985年に結婚し86年に長女、90年にわたるが与えられ一時はアメリカ永住も考えていた時期もありました。2人の子はアメリカ市民権をもっています。私の場合子供を持った時、特別男の子がほしかったというこだわりはなく、2人の娘を育てるのを楽しみ、アメリカ生活をエンジョイしていた状況でした。しかし、1995年7月に日本に戻って来る事になり、長女が小学3年、わたるが年中、帰国子女となりました。2人にとって環境の違う日本生活は大変であったろうと今思っています。

  私が信仰を持った経緯は結婚した家内がクリスチャンであり、結婚当初私は教会の送迎といった感じでした。主の導きにより私が救われて受洗したのは、日本帰任のための帰国2ケ月前の1995年5月の事で、今年で信仰生活26年目になります。私の好きなみ言葉に、ローマ人への手紙8章28節があります。

神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。
    ローマの信徒への手紙 8:28

今まさにこの聖句が、私達家族に与えられていると感謝しています。

  わたるから話があった際、ジェンダー、LGBT、性的マイノリティ、FtM、MtFといった言葉の持つ意味については、全くと言っていいほど無知でありました。今思えば自分また私達にはあまり関わりが無かったので、性同一性障害と言う言葉は聞いたことがあり知ってはいるけれど、あまりよくわからないという状態でした。そんな中、わたるから男として生きていきたいと伝えられた驚きと共に、一体それはどういうことなんだろうという思いが強かったことを覚えています。

  ただアメリカ生活で2人の娘が成長している中で、わたるの場合女の子にしては活発な子だったこと、オモチャにしてもキティーちゃんよりウルトラマンタロウの方が好きであったことが思い出されました。男の子ぽい子そんな子でした。男親として心地よい気持ちがあったのも事実でした。しかしながら、わたるが証しの中で書いてありましたようにさまざまな疑問点、不条理な点に苦しんでいたとき、親として察してあげられなかったこと、つまり苦しみや悩みをあの子と一緒に共有できなかった事が、ただただ不憫で涙しました。

  わたるからのカミングアウトがあった後、これからどのようにしてあの子を守っていったら良いか悩みました。家族がわたるを守っていくのは当たり前のことですが、社会の中ではどうなるかという不安を感じました。性的マイノリティとして社会的生活がちゃんとできるのかという不安でした。

  私たちに出来る事は全てを主に委ね、恵みが与えられるよう祈っていくしかないと思いました。正に私の好きなあの聖句にありますように!

  わたるがこれから直面していくであろう様々な事を、私達家族全員でサポートしていけるよう祈ってまいります。私が主のみもとに行くその日まで。  

【わたるの証しはこちら】

約束の虹ミニストリー

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