これ、現代も?

(執筆:かな)

"妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。

キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。"
エペソ人への手紙 5章22~23節
聖書 新改訳2017

怖い。
ぶっちゃけ無性に怖い。
いや、知ってますよ、この後夫はキリストレベルで妻を愛せよって書いてあるから、そっちの方がハードル高いって。
それにしてもこれを結婚前の夫婦にレクチャーしたりするわけで、こうあるべきな圧はありますよね。

どうして女性は妻という役割のもとに語られてしまうのだろう。
1人の人間でいいのに。

女性は自尊心が低いと言われますが、自尊心の問題は男女共通だと思うし、それが自己否定となるか他者否定となるかは多少男女で傾向に差はあろうとも、個人として見た時にはあまり意味がない分析かと。
(もちろん社会的に女性が平等でないと言うことは是正されていくべきだと思います。)

脳科学では、すべての人の脳の中は男性的部分と女性的部分が混在していてモザイク状だとNHKのジェンダーサイエンスで言っていましたが、そういう意味で、皆が100%女脳と100%男脳のグラデーションのどこかにいるわけです。

私は、性的特徴は男性だけど、従来女性的と呼ばれてきた性格がすばらしく発揮されてる方を何人も知っています。

実際に家庭の中で、女性の方がリーダーシップをとり、男性が支えになって上手くいっている場合は多いと思います。

パウロの時代は女性は教育もなく仕事もなく、自立したり、リーダーシップを取ることは社会的に無理だったでしょう。
そんな女性が守られ生きていくために、男性はイエスさまのように妻を愛し、妻は夫に従うよう説かれた側面もあるかもしれません。

現代において、「従う」ことは本当に必要なのでしょうか?
きっと船頭多くして船山に登っちゃって家庭バラバラじゃ困るって心配があるのかも知れないけど。

夫婦は完全に一致しなくていいと思います。
どんな関係でも、教会でも、完全に一致しようとしたら、収まりきれないパーツを切り落とすはめになって流血します。

夫婦でも、親子でも、教会の家族でも、違いは違いのままに、それでも同じところを大切にして、その都度その都度正直に話して、面倒くさいし、もやもやはっきりしないけど、そのもやもやのろのろのすべてがお互いを知り愛し合う機会であり、積み上がって愛を深める機会で喜びなのだと思います。

ケンカして仲直りした後の方が味わい深い間柄になったりしますもんね。

夫に従えって言うのは、女性にとって暴力的だと思うけど、男性にとっても重荷じゃないかなぁ?
俺に従えなんて俺様キャラじゃないよー😢って男の人絶対いると思う。
人を支配したいというという欲求をみことばで肯定する危険にもさらされてしまう。
それは男性にとってつらいことだと思う。

男も女も、本当に愛してたら気持ちを聞いて互いに歩み寄ろうとするし、そうしてくれない相手を愛し、従えと言われても私は無理。

真面目な人ほど、このみことばを文字通りやらないと罪だと思ってしまう。
私もそうでした。
そして愛からどんどん遠ざかってしまった。

パウロの言ってること、現代で文字通りやらないと罪だって言うの、やめませんか?

根底にある、当時の女性を守ろうとするイエスさまの愛を読みとって現代に応用したほうがいいんじゃないかなと思います。

約束の虹ミニストリー

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