彼女を紹介したら差別されなくてびっくりした話
(ユキ・アボカド)
初めてできた彼氏はポリアモリーでした。ポリアモリーとは、同時に複数の人と恋愛関係を持つ、多重恋愛のことを言います。そういう気質を持つ人を「ポリアモラスな人」と呼ぶこともあります。その人はポリアモラスな人で、私は2年間、色々なことを学びながらその人と付き合いました。私が虹ジャムと出会ったのは、ちょうどこの人と付き合っていた時のことです。
別れてから、心機一転サーフィンをしに湘南に引っ越しをしました。私は教会に行かなくなってかれこれ10年くらいになりますが、引越しの時は前の教会の牧師が近所だったこともあり、彼をはじめ他の教会メンバーが手伝いに来てくれて、「ゆきは家族だから当たり前!」と時間を割いて家具の買い物や運び入れまで手伝ってくれました。移住が色々な人に伝わると、湘南近辺のクリスチャンの友人知人がこぞってご飯に誘ってきたり、一緒にサーフィンをしたりしました。気づけばサーフィン仲間のうち、何人もがクリスチャン、牧師サーファーに至っては4、5人も周りにいる、といった具合になりました。
今年の1月から付き合い始めた人が女の子で、海友達や湘南ローカルの人に「彼女です」と紹介すると、誰も特に何も言わなくて、私は会う人会う人になんの躊躇いもなく「彼女です」と紹介する次第でした。
ある時クリスチャンサーファーの一人がバーベキューに誘ってくれた時、「良かったら彼女も連れておいでよ!」と言ってくれたので、「同性カップルだけど良いの?」と聞いたら、「俺ら、そんなの気にしないよ」と言われたので、一緒に行ったら本当に誰にも何も言われませんでした。はて、と思い、海で他の牧師のサーファーたちにも「彼女」を紹介してみたら、みんな「おう!」くらいの反応でした。
なぜ私が気にしたかというと、過去に何度か「同性愛はダメでしょう」という反応をされたことがあったからでした。
まず、中学生の時に好きになった人が、女の子でした。私は好きになったものはしょうがないじゃないか、と開き直っていたのですが、ゴリゴリのクリスチャンスクールだったため牧師室に呼び出され、祈られるやら、説教されるやら、「きっと君の同性愛は先天的ではなく、トラウマが原因で出現した病気のようなものだから手遅れになる前に悔い改めなさい」と言われる始末でした。その学校は色々問題が発生してついには潰れてしまいまったので、私は一般の、通信制学校に高校から入り直しました。
その高校で、ある時友人何名かと話している時のことです。「俺の周り、ゲイが多いんだけど、告白されて困るんだ」と一人が言いました。別の友達も、「私も、レズビアンの子に告白されたことある!」とのこと。私は誰からも告白すらされたことがなかったので、その時点で話についていけないなぁと思っていたのですが、その友人たちが「ゲイに告られても困る」とか、「同性に好かれるのが気持ち悪い」とか言うのを聞いて、当時自分のセクシャリティをよく分からないながらも少し悲しい気持ちになり、「世の中色々な人がいるじゃないか」と、なんともディフェンスしきれていない発言をしました。そうか、クリスチャンじゃなくても同性愛を差別する人たちはいるのか、と感じた瞬間でした。私が自分のセクシャリティがパンセクシャルであると自覚したのはこの高校を卒業した後のことです。
差別をされると、「私が私でいるのは何かがまずい」という風に扱われたように感じます。人種、性別、障害やセクシャリティなど、差別は様々に存在します。する側は、例えば宗教観に反するから、とか、個人的に嫌だ、など理由があるようですが、された側からすると理由はともかく、気持ちがいいことはありません。私自身、「クリスチャンは批判的だ」と差別して、苦手を感じて距離を置いていましたし、「教会は全部嫌なところだ」と感じて離れていました。けど、「同性愛は罪だから悔い改めなさい」と言ってくる牧師もいれば、「おう」以外何も言わない牧師もいて、一概に〇〇だからこうに違いない、と決めつけるのがいかに不公平か、少し反省をしました。
数ヶ月前から牧師サーファーの一人が海にテント張り始めました。ただ人が集まってきてサーフィンして、なんとなくおしゃべりするだけのテントなのですが、私もきまぐれにそこに通っていたら、「このテント、僕の教会だよ」と言われ、自分はどうやら「教会」にサーフィンをしに通っているらしいことを知りました。
私の彼女もこの間、このテントでサーフボードを借りて、牧師たち直々にサーフィンを教わっていました。どこか緩くて、優しくて、波乗りが大好きなクリスチャンたちとの出会いは私にとって面白い体験なのでした。世の中、本当に色々な人がいるなぁ、と思ったのでした。
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