疎外された人々の集まる場にいてくださるイエス様
*日本バプテスト女性連合の機関誌『世の光』への寄稿としてルカが執筆したものを、許可を頂き掲載いたします。
「世の光」読者の皆様、初めまして。LGBTQ+の人々の居場所をキリスト教の中にもつくるための活動を主催している、寺田留架(ルカ)といいます。普段は、「信仰とセクシュアリティについて誰でも安心して話せる場」をコンセプトに交流会「虹ジャム」を毎月開催するほか、様々な教会や教団、牧師研修会などの場にお招きいただいての講演活動、個別のご相談の対応などをさせていただいています。
これまでお会いしてきたのは、教会でセクシュアリティを否定され、「元の性別」に戻りなさいとか、同性の伴侶と別れなさいとか、奉仕はさせられない等と言われて傷つき、教会を去った人たち。それでも信仰は持ち続けたい、クリスチャンの仲間と知り合いたいと、「虹ジャム」にいらっしゃいます。また、今の教会では絶対カミングアウト(セクシュアリティを打ち明けること)できない、それでも誰かに聴いて欲しいという方がご相談くださり、お話を伺うこともあります。
虹ジャムに来られる方の多くはLGBTQ+ですが、セクシュアリティとしてはマジョリティ側にいる人たち(出生時に割り当てられた性別に違和感がなく、異性に惹かれる人たち)も歓迎しています。当初は、ここでLGBTQ+クリスチャンの等身大の姿に触れて理解を深めることができた人たちに、それぞれの教会や身近な場でLGBTQ+の良き味方として行動してほしいという意図がありました。
ですが活動を続けていると、アライ(LGBTQ+の味方となりたいと願い行動する人)として参加してくださっている方々が口々に、「ここは私にとっても大事な居場所なんです」と仰ってくださるようになりました。セクシュアリティにおいてはマジョリティでも、何かしらのマイノリティ性を持っているために教会で理解されず傷つけられ、苦しんできた経験をお持ちなのです。
そのような方々が、ご自身の体験を打ち明けてくださいます。そしてお互い対等に耳を傾け、ジャッジせず、完全には共感できないとしても少しでも理解しようと、対話を重ねるのです。
教会では「よろしくない」と見なされた者同士だからこそ、安心して思いを打ち明けることができます。そうやって受け入れられる経験を重ねる中で、かつては自分も裁く側だったけど、自分がマイノリティで裁かれる側だと気付いた時から変わり始めることが出来た、と悔い改めの告白をしてくださる方もいらっしゃいます。
「皆どうせ罪びとなんだからお互い目をつぶろう」というのではなく、神様に最後の望みを置き、赦しと救いに応答して隣人を自分自身のように愛せるようになりたいと願うからこそ、自分と異なるお互いを受け入れ合おうという前向きな実践がそこにあるのです。その中で、ああやっぱり神様はすごい! 大好き! という賛美と信仰告白が新たに生まれています。
もし、教会にいても苦しい方、神様を信じて頑張っているはずなのになぜかとれない胸のつかえがある方がいらっしゃったら。教会ではダメとされた人たちの交流の中に、人々から追い出された者の傍にいて下さるイエス様がおられ、今あなたを招いてくださっていると思うのです。イエス様はそのようなお方であると、僕は信じています。
(日本バプテスト女性連合の機関誌『世の光』 連載「心に鍬を入れられて」2022 10月号掲載)
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