生/性について語り合うこと

▲前回に続き、日本バプテスト女性連合の機関誌『世の光』への寄稿として執筆したものを、許可を頂き掲載いたします。第二回は、約束の虹ミニストリーメンバーのダンによる原稿です。


生/性について語り合うこと

約束の虹ミニストリー・メンバー 川口弾(ダン)

 前回のルカくんからバトンを引き継ぎました! 私は日本バプテスト連盟所属の教会の牧師家庭に育ちましたが、九年ほど前に同性のパートナーができたことをきっかけに、信仰とセクシュアリティとの間で引き裂かれるような経験をして、約束の虹ミニストリー(以下、約束の虹)主催の交流会「虹ジャム」に参加するようになりました。

 初めて虹ジャムに参加した時には、どんな人たちが集まるのか見当もつかなかったし、何よりもトランスジェンダーであることを明かして活動しているルカくんと会うのが怖かった…。「失言して、トラブルになったりしないかな」という不安と偏見でいっぱいでした。

 パートナーに手を引かれて虹ジャムに参加してみたら、フレンドリーな雰囲気で、安心して楽しく過ごせました。集まる人々も多様で、それぞれの限られた経験や知識を分け合いながら、共通言語を手探りしたり即興的に手作りしたりして、交流や関係作りをしているように見えました。まさにジャム・セッション!

 少数者のための安全な場を作るのは簡単ではなく、約束の虹に関わる一人ひとりの試行錯誤の賜物です。今は仲間たちと工夫と失敗を重ねながらそのような場作りに関われていることを嬉しく思っています。 

 教会や社会で脆弱な立場に置かれている少数者の安全のために虹ジャムではグラウンド・ルールを守ります。「参加者の性自認やセクシュアリティを決めつけない。虹ジャムで語られたことを口外しない。特定の属性や集団をおとしめるような発言はしない 、など」

 多様な属性や背景を持った人たちが参加するので、権力や脆弱性の不均衡が必ずと言ってよいほど生まれます。誰の声が大きくされ、誰の声がかき消されているのか。誰の立場が危うくされ、誰がそれに加担してしまっているのか、には常に注意を払う必要があります。

 ステレオタイプ化された語りにも警戒が必要です。「トランスジェンダーは〇〇だから」とか「ゲイ神学は〇〇という神学です」のように、特定の属性を持つ人々の中にある差異や個性を抹消する形で少数者の生/性について語られることが多いからです。キリスト教界隈で、少数者の生/性について語る方法を手作りしていく必要を強く感じています。

 キリスト教には、人知を超えた神について有限な知性と言語をもってしていかに語るのか、の試行錯誤の蓄積があります。「(自分たちが作り出した)神から自由になれるように、神に祈りましょう」(エックハルト)。「誰も知らない沈黙の中にたたずむ…まばゆく光る暗闇が、もっとも明らかな事柄に溢れんばかりの光を照らすのです」(ディオニシオ)。すべての人が神のイメージに創造されているという信仰の下、これらのノウハウを人間理解に転用できないものでしょうか。

 ある時、ルカくんが鎌倉の自宅に泊まりにきてくれました。食事して、カラオケで熱唱して、家に帰って、寝巻きに着替えて、ルカくんと私のパートナーと私の三人で川の字に横になって、電気を消してから、ルカくんがポツリと言いました。「気になること、普段は聞けないこと、なんでも質問していいよ」。知識も言語もぼやけた暗闇とまどろみの中でこそ、私たちは生/性について語り合い始めることができるのかもしれません。

(日本バプテスト女性連合の機関誌『世の光』 連載「心に鍬を入れられて」2022 11月号掲載)

約束の虹ミニストリー

性的少数者と共に祈るキリスト教ベースの活動、 『約束の虹ミニストリー』のホームページです。