性被害からの回復⑤ 「静けさを得るために」

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(ロイ)


まただ、体が重くなる。暗い沼に沈んでゆく。さっきまで診察室にいたはずなのに、その床が溶けていく。過去の話をしていた。あのおぞましいことの輪郭をなぞった。内側には達していない。でも限界だったのだろう。

「助けて・・・体に力が入らない・・・」

すると遠くから、精神科医の声がした。

「右手で左足、左手で右足をタッチして!」

そして「右、左、右、左」と指示が聞える。それに何んとか従おうと、体を少しずつ動かす。

そして私は戻ってきた。診察室の床の上、キャスター付きの椅子に、いつものように座っていた。白い壁からは別の患者の声がかすかに聞こえる。ブラインドからは午後2時の、あたたかな陽光が差し込んでいた。

またある夜、私は叫んでいた。

「やめて!」

夫は慣れたものだ。すぐに起こす。そして

「大丈夫だよ」

と言ってまた眠る。私は怖くて眠れない。だから何度も施錠を確認する。音が気になる。廊下に響く声におびえる。身体にはまだ、子ども時代のあの夜のこわばりが、残存している・・・。

過去は日常に侵入する。これをフラッシュバックと言うらしい。自助グループでトラウマ体験を語り合う時、トピックになることも多い。要するに「よくあること」なのだろう。

「トラウマ治療の目的は、許すこと、忘れることではない。」

担当医はそう言ってくれた。症状を乗りこなすこと。まるでサーフィンのように、フラッシュバックの波が来ても、やり過ごすスキルを身に着けること。これが治療の目的であった。

まず勧められたのが「寝逃げ」である。不眠が続き、日中も緊張している。だから希死念慮が強まった時、考えを止めて寝るための薬をもらった。夜中に記憶に侵入された時は、むしろ眠らない。夢で続きを見てしまうからだ。だからラジオをつける。平和が耳から入ってくる。ハーブティーをひと口。そして鏡を見る。映るのは、あの家ではない。ここは関東だ。トイレにも脱衣所にも、鍵のかかるドアがある。

私は決めた。何度確認してもいい。施錠されているか、冷蔵庫に食料があるか、家に他の人が隠れていないか。

私はまじめなクリスチャンだった。信仰が安全をくれると信じて、教会で良しとされることを、なるべくやろうと務めた。だから葛藤があった。こんなに不安なのは、不信仰だからなのだろうか。絶えず演技し笑顔を作るが、歯は食いしばっていた。葛藤は葛藤を生み、ついに限界が訪れた。だから引きこもった。静けさを得るために。それはフラッシュバックという大波に、のまれてしまわないための、精一杯の防衛であった。


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