性被害からの回復⑧「エクソダス」

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リリー・ロイ

※トリガーアラート
 この文章には、暴力についての記述があります。


はじめて教会に行ったのはたしか子どもクリスマス会。4年通ってしばらく離れて、成人してまた行くようになった。教会の礼拝では、たくさんの讃美歌を歌う。歌を歌うと新しい人になったような気がして、すべてを忘れることができた。

礼拝では「使徒信条」という短い文章をみんなで声に出して読むコーナーがある。クリスチャンが何を信じているか、その内容がコンパクトにまとまったものだ。その教会のメンバーは20人くらい。なかでも90代のおばあちゃんはとても声が大きく、そしてみんなと全然テンポが違っていて心が和んだ。知的障害のある子どももいて、いつも折り紙をくれた。会話することは難しかったけれど

「生きていてくれて、ありがとう」

と言われているような気持ちがした。その子の存在をきっかけに、数人のハンディのある方々が教会に加わった。そこには不思議な安心感があった。

教会には「クリスチャンらしさ」という見えない型のようなものがある気がする。でもメンバーが個性豊かであればあるほど、その「型」はふんわりと緩んでいく。その中に私の居場所もあると思えたのだった。


そんな風にゆっくりと、人間不信は溶けていった。そっと家を抜け出す回数が増えていき、やがてコンビニのバイトもできるようになったのだ。それに気づいた母はキレた。

「あなたは家族が嫌いでしょうけど少なくとも共同生活者なのよ。」

そして「貯金はいくらあるの?」とストレートに訊いてきた。

母は追い詰められていた。父はどこかでマインドコントロールの手法でも学んできたのかと思うくらい、母の存在を根底から揺さぶっていた。髪を掴んで引きずり回した翌日には、ダイヤの指輪を贈るのだ。

母はアルコール依存症になっていた。当時は知らなかったのだが「ブラックアウト」と言うらしい。飲むと手がつけられないほど暴れ翌日にはまったく覚えていないのだ。その日もそうだった。

「いい加減にしろ!出ていけー!」

母はそう叫びながら、包丁を掴んで私を追いかけてきた。玄関付近にいた私は、靴もはけず裸足で逃げた。そうしないと、母は殺人者になってしまう。


私はこの状況を、牧師に相談した。すると役員会で話し合ってくれたらしく、教会をあげての実家脱出計画がはじまった。


そしてついにその日は来た。父母のいない日を調べ、その日時に家の前に3台の車が待機。5人の教会員が家に入り、あっという間に私の部屋は空になった。まるで旧約聖書の出エジプト記のようだと思った。神さまが祈りをきいて海を分け、私を父の帝国から脱出させてくださったのである。


しかし、なぜだろう。母の暴力については理解されたのに、父のそれは伝わらない。そのことが私の人生を再び、奈落の底に突き落とすことになるのである。


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