マスクの祈り

(執筆 ダン)


マスク越しの神さま、

マスクの下のあなたの顔を想像します。


今、私たちとともに笑ってくださっていますか?

私たちの苦しみをともに耐え忍んでくださっていますか?

マスクの下で実は変顔をしていたり、なんてこともありますか?


私たちにはマスクの下のあなたの顔を見通すことはできません。

あなたの存在に完全な定義を与えることも、

あなたの居場所をピンポイントで指差すこともできません。


マスクの向こう側の神さま、

けれども私たちは、マスク越しにあなたを感じ、あなたに聴き、あなたと触れ合うことができます。


仲間とともに時間を過ごす喜びや、

心ない言葉や振る舞いによってもたらされる悲しみ、

想定外の出来事への困惑や、愛する人への熱情の内に

あなたと出会い、また出会い、そして出会い直し続けられます。全然飽きません。


日常のなんでもない瞬間にも、

孤独で寂しい時にも、

社会を渦巻く敵意や暴力にうちのめされそうな時にも、

教会の無知・無関心に絶望しそうな時にも、

その瞬間、その場所から、

すべてを満たすあなたを感じ、あなたに耳を傾け、あなたを慕い求め、

あなたとの新たな出会いにワクワクできますから、感謝します。


神さま、

私たちをあなたのマスクにしてください。


生活の中で、あなたの息遣いに触れられるように、

コロコロ変わるあなたの表情を感じ取り、驚き楽しめるように、

そして、私たちがふいに出会う人々をあなたとつなぎ合わせられるように、

私たちをあなたのマスクにしてください。


マスクの向こう側のあなたからのサプライズを楽しみに、

私たちをあなたにつなぎ合わせてくれたイェスの名によって、お祈りします。


アーメン


[解説]

「私たちの日々の営みは神にとって一体何であろうか?それは愛する幼な子の営みであり、それが畑であったとしても、家であったとしても、それ以外のどこの場所でも、神はその営みを通してすばらしいプレゼントを私たちにくださるのである。それらの営みのすべては神のマスクである。そのマスクの背後に神は常に隠れていて、そしてすべてをなしておられるのだ。」(Luther’s Works, vol.14, “Exposition of Psalm 147” (ページ数不明).私訳)


「神の全能の力は、どこにも存在しないのと同時に、どこにでも存在するのである。神が一つの場所にのみ存在するなんてことはありえないのだ。もしある特定の場所に存在しているならば、それは目で見て指差せるような方法で存在するということになってしまうのだが…神の力は測定不可能で私たちの感覚では捉えきれず、すべてを超越しているのである。」(Martin Luther. “That These Words of Christ, ‘This Is My Body,’ etc., Still Stand Firm against the Fanatics” in The Annotated Luther vol.3, 204-5. 私訳)


マルティン・ルターのこれらの言葉に触発されて「マスクの祈り」を書きました。虹ジャムには、 様々な背景を持った人々が、様々な思いや感情を胸に集まってきます。日々のとりとめもない出来事を分かち合って笑ったり、教会や社会で差別・排除された経験に耳を傾けたり、毎回参加される方々のカラフルな体験のジャムセッションに励まされ、学ばされています。

けれどもそこに集まってくる色は明るくて鮮やかなものだけではありません。そこで耳にするのは調和の取れたハーモニーだけではありません。悲しくて痛い経験も持ち込まれ、思いがすれちがったり衝突して不協和音が生じたりすることもあります。耳に痛い言葉を聞いてしまうことも、人と人との関わり合いの中なので当然起こります。

けれども、決してバラ色一色ではない私たちの日々の体験が、楽しくてハッピーなものから痛くて苦しいものや後ろめたくてモヤモヤするようなものもひっくるめて、「神のマスク」だとしたらどうでしょうか?

何かを愛し執着する思い、何かを嫌い憎む思い、ジェンダーやセクシュアリティについての不安や悩みや好奇心、仕事や勉強に追われる毎日、やる気が出ずにうだつの上がらない一日、教会や社会一般における差別や排除(したり・されたり)の経験、暴力被害からのサバイバル、居心地のいい相手とのご飯、行きずりの相手とのセックス 、虹ジャムでの語り合い、Twitter上での出会い、思いのすれ違いや衝突、 イェスや教会に対する愛着や不信感、そしてまたうだつの上がらない一日etc…。

それらのすべてが神のマスクで、それらを通じて神と出会いつつも、神はいつもスルッといなくなってしまい、そこからまた新たな出会いの可能性が開かれるとしたらどうでしょうか?ありふれた日常から、人様にはさらけ出したくないような暗部まで、すべての内に神が存在していて、それらの出来事を通じて想定外のびっくり発言が分かりにくいけど確かにささやきかけられているとしたらどうでしょうか?

日常の中で出会う人々や起こる出来事を通してポンポンと肩を叩いてくる神。近くて、けれどもその近すぎるがゆえに果てしなく遠いマスク越しの神。マスクの向こう側から手招きしてくるわりには、気まぐれにふいといなくなってしまうような猫みたいな神を思いながら…。

(神さま、マスクの下のあなたが実は猫で「ニャー」と鳴いているなんてこともありますか?)