『教会とセクシュアルマイノリティ』ご報告

ご報告記事の投稿が遅くなってしまいましたが、8月6~14日に開催した企画展&ブックフェアの開催リポートです。

2021年2月の開催時に比べると、コロナ感染拡大状況もあいまってか来場者数としては少なめでしたが、その分、来場者の方とゆっくりお話しできることも多く、これはこれでよかったのだと思っています。

イベントのことは知らずに教文館に来られて、見かけて足を踏み入れてくださる方も多めでした。約束の虹ミニストリーを知らない方々との出会いをいただき、教文館さんに感謝です✨


今回のイベントでは、Web上と展示会場でアンケートを募りました。
Web上では8件、会場では24件、合計32件のご回答を頂きました。ご協力くださった皆様、ありがとうございました!
ご視聴・ご来場くださった方のうちアンケートご記入くださった方のみの回答ですので統計的な分析はできませんが、概要をお伝えします。(掲載を希望されない方の回答は除外してあります)


年代

30代が一番多かったですが、10代から60代の方まで様々な年齢の方が回答して下さっていて、年代問わず関心を寄せて下さっていました。


宗教

クリスチャンの方は23名。プロテスタントの各宗派、カトリックなど、多様な宗派が見られました。
求道中の方2名、他宗教の方1名、無宗教の方1名もご回答くださっていました。

立場

一般信者17名、教職者・修道者4名、求道中2名、その他1名


セクシュアリティ

お一人お一人が自分の性について書いて下さっており、簡単にカテゴライズして集計することはできませんが、非常に大まかに見てみると、いわゆるマジョリティ(身体の性と心の性が一致しており、異性愛)と取れる方が14名、何らかのマイノリティ性を感じておられる方が14名、ということで、同じぐらいの数になっています。

しかし、実際に書かれたお一人お一人の記述を見ていると、性のあり方が実に多様で、簡単にカテゴライズされるようなものではない、まさにグラデーションになって存在していることが改めてわかりました。


アンケートの感想抜粋(全て原文ママ)

8/6のトークイベントについて

 こんなにも安心してセクマイと教会のことを聞けるなんて、感動しました。

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 多様なセクシャリティは神様が作られたものであり、恵みであり愛であるということを感じました。

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 私自身は偏見がないつもりでしたが、今までも無意識に傷つけてしまっていたかも知れません。
そのことで悩んでおりましたが、一人一人を大切にする「大きな主語」で考えず、目の前の人を大切にすることから始めてみたいと思いました。

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 リアルなライフストーリーを聞くことができ、感謝します。初めて知る性的指向もあり、自分の無知を反省させられると共に、もっと知りたいと思いました。同時に教会やこの世界が性的マイノリティをはじめ、あらゆるマイノリティの方々にとって生きづらい場所なのだろうかと改めて考えさせられた。キリストをかしらとする教会こそ、先陣を切ってマイノリティの問題に向き合っていくべきなのに・・・イエス様は全ての人を受け入れ、愛して下さっている!

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 主語を大きくしない———という言葉に共感しました。
大きく語ることで起こるのは敵対でしかなく、
境界を越えることは益々困難になります。

今日の7名の方々のメッセージは、今、目の前にいる人を大切にする、理解することの意味について考えさせられるものでした。

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 当事者が生の声で語り、朗読することで、よりリアルに感じて頂けたようで、他にもわかりやすかった、心に刺さった、といった声が多くありました。


展示について

 前回よりも紹介本が増えていて、自分一人ではキャッチできなかった情報を得ることができました。
また、教文館という場所柄、クリスチャンの方、クリスチャンではない方含め、いろいろな方が来やすい環境というのも、幅広い方にセクシュアルマイノリティのことを知っていただけてとてもいいなぁと、当事者として感じました。

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 会場全体がとてもあたたかく、やわらかい雰囲気につつまれているのが、とてもうれしかったです。あたたかい心で、人の心を考えられるきっかけの場になるといいですね!

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 映像や文章で沢山の方のライフストーリーや悩みを聴かせていただけるのが本当に良かったです。LGBT+への差別や聖書解釈の問題を考える時はまず、そこに悩んだり喜んだり傷ついたり愛し合ったりしながら生きている”人”がいることに目をとめるべきなんじゃないかと思います。

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 LGBTQ+とキリスト教のかかわりについて、まず選書がすばらしいと感じました。また当事者のかたがたのライフストーリーを拝見して、自分の境遇と重なることが多々あり深く心に残りました。

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 LGBT+への差別や聖書解釈の問題を考える時はまず、そこに悩んだり喜んだり傷ついたり愛し合ったりしながら生きている”人”がいることに目をとめるべきなんじゃないかと思います。

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展示会場のビデオ映像や、文章でのライフストーリーから、多くの学びを得られた、また、書籍の豊富な展示も良かった、といった声が他にもありました。

そして、トークイベント、展示、両方のアンケートに多数書かれていたのは、このようなトークイベントや展示を、ぜひ今後も続けて欲しい、多くの方に見て欲しい、という声でした。

主催した側として、とても励まされる回答ばかりです。ありがとうございました!
これからも、いただいた声を参考にさせていただきつつ、皆様のご期待にお応えできるような企画を続けていけたらと思います。


*トークイベントで朗読させていただいたライフストーリーを、不定期で掲載中です。
また今後も、様々な方のストーリーを掲載したいと思っています。
下記のページを時々覗いてみてくださいね!

証し(パーソナル・ストーリー)

証し(パーソナル・ストーリー)の一覧。いつも、わたしのとなりには・・・ - (あきら)主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2:18)まだ幼いころ、自分のセクシュアリティが他の多数の人たちと違い、フツウではないようだと自覚したときに感じたのは「孤独」でした。人と違うというだけでなく、恥ずかしいこと、悪いことで、誰にも言ってはいけないことなのだと思っていました。なぜなのでしょう。それでも、自分では覚えていないわたしの子どもの頃の様子を母がときどき思い出して話すのですが、女の子のようになりたそうだったというエピソードがいくつもあります。セクシュアリティを隠すなんていうことはできないものなのかもしれません。成長してからは女性になりたいとは全く思いませんから不思議です。男性に惹かれるから自分は女性なのかなと思っていたのだとしたら、それも固定化された男らしさ女らしさの規範が幼いころからずいぶん影響を受けているのだなと思います。自分自身でも自分が何なのかわからないのに、世間の「男らしさ」の基準から外れていたため「オカマ」などとレッテルを貼られてからかわれたりもしました。母が習っていた日本舞踊を見て、自分もやりたいと申し出て、小学校に上がる前から10年続けました。踊りの中では男にも女にも、こどもにも老人にも、動物にもなれました。自由にトランスする感覚で解放されて、心のバランスを保てていたように思います。熱心に続けましたが、日舞をやっていることは学校の人たちには言えませんでした。秘密を持つということが、人との距離をとり、口を重くさせ、緊張で体のバランスも不安定にさせました。好きだった日舞も子どもの習いごとの領域を過ぎると、本格的に続けるという道も難しく、中学卒業と同時に離れてしまいました。その頃には自分はいわゆる「男性同性愛者」なのだろうと自認するようになりました。高校入学をきっかけにキリスト教に触れることになり、友人に誘われて教会に通うようになりました。もし神さまがいるのならば、誰にも言えない自分のセクシュアリティの違和感や悩みも神は知っているだろうし、神に言うくらいしかできんわ!と思ったら、礼拝が新たな心の拠り所になりました。幸いなことにわたしが通った教会では「同性愛は罪だ」などと正面から言われたりしたことはなく、教会の人びとは信

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