はるかな希望を共に見つめて ー「分断」へ煽られずにー
前回に続き、日本バプテスト女性連合の機関誌『世の光』の「心に鍬を入れられて」、YWCA職員の臼井一美さんによる原稿の第三回を掲載させていただきます。
前回の記事はこちら⇒【はるかな希望を 共に見つめて ー「普通」ってなんだろうー】
「デマによって人が殺される」これは遠いところで起きたことではありません。100年前の1923年9月1日、関東大震災時に「朝鮮人が放火している/井戸に毒を入れた」などという事実無根のデマが流され、それを信じた日本人によって、多数の朝鮮人(*1)や中国人の方などが虐殺されました。デマは人を殺します。
先月号で、キリスト教界が持ち続けてきたジェンダーとセクシュアリティに関する「普通」の一端をご一緒に考え、その「普通」が、多くの人に痛み、苦しさや辛さを与えていることを分かち合いました。その中に、このような一文がありました。
「出生時に医療者によって決められた性別は生涯変わらない」。
このことも、キリスト教界の中では「普通」のこととされてきました。しかしそうではありません。
出生時に決められた性別は、他者が主に外性器の形を参考にして決めているにすぎません。自分の性別についてどういうアイデンティティを持つかはさまざまです。「中性」「無性」「女性」「ノンバイナリー」「X」「男性」など、多様な性別がこの世界には存在しています(*2)。出生時に決められた性別を自分のアイデンティティとしている人(シスジェンダー・女性の場合は「シス女性」と表現することもあります)にとって、そのような多様さは「理解しがたい」かもしれません。しかし、だからといって存在している人たちを存在しないことにはできません。
最近、「女性専用領域」から「トランス女性(出生時に決められた性別は男性だが、アイデンティティは女性の人)を排除しよう」という動きがあります。これを支持する人たちは「男性が女性専用領域に入ってきて『自分は女性だ』と言えば無罪になる」と言いますが、これは「デマ」です。また、「生物学的性別」で専用領域の使用者を決めればよいと言いますが、これはかえって混乱が生じるでしょう。例えばトランス男性が女性専用領域を使用することになるからです。「トランス女性を排除することでシスジェンダー女性が男性による性暴力から守られる、という主張もあります。しかし、すべてのトランス女性を「性暴力の犯罪者予備軍」だと言っているようにわたしには聞こえ、苦しい思いでいっぱいです。性暴力をふるう人たち(あらゆる性別の人が想定されます)が取り締まられるべきであり、それを防ぐために警備や見回りが必要なのであって、トランス女性たち「だけ」にそのような偏見や警戒心を向けるべきではありません。特定のカテゴリの人を「犯罪者予備軍」とすることは差別に他なりません。その中にある「差別心」をこそ見つめるべきだと思います。
このことは、すでに抑圧されている人たちを更に「分断」したい人たちのよって、政治的に動かされています。それは、「シス女性対トランス女性」「フェミニスト対トランス女性」というものです。この分断で利を得る、わたしたちが本当に闘わなければならない相手は誰でしょうか。わたしたちが闘うべきは「家父長制」であり「性暴力」です。
「デマを作りだす人」は悪意を持っていますが、「デマをデマと気づかず広める人たち」は善意です。自分や自分の大切な誰かを守りたいという思いから「デマ」を広めてしまうことになるのです。わたしたちはデマによる分断へ煽られてはなりません。この社会の中で、わたしたちは既に一緒に生きているのです。
デマは人を殺します。わたしたちは殺すことではなく、生かし合うことを選びたいと思います。神は、わたしたちにさまざまなセクシュアリティを与えられました。それはとても豊かなことです。その豊かさを受けて、互いに排除をするのではなく、共に歩んでいければと願います。
*1 朝鮮半島は当時、南北に分かれていないので、ここでは「朝鮮人」と表記します。
*2 ここの言葉でわからない言葉がある方は、ぜひ、調べてみていただけると幸いです。
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