約束の虹ミニストリー

イエス・キリストへの道であなたのセクシュアリティが壁とならない世界を。
むしろそのセクシュアリティがイエス・キリストへの入口になりますように。

記事一覧(63)

性被害からの回復⑨「カミングアウト」

前回の記事はこちらリリー・ロイ※トリガーアラート この文章には、性被害についての記述があります。平穏な日々が続いた。すると緊張が緩んだせいか、コンビニのバイト中、バックヤードでボーっとしたり、涙が出るようになった。教会にも慣れてきて、入り浸るようになった。お祈り会開始の2時間くらい前からやって来ては、まるで自宅のようにのんびり過ごした。教会と言っても普通の一軒家である。そこに牧師家族が住んでいた。だから突然来る私のことを「時間になったら来てね」と帰してもよかったはずだ。でもまるで子どもがもうひとり増えたように迎えてくれた。私はぼんやり、これが本当の家族なのではないかと、錯覚しはじめていた。しかしあの人はやって来た。ちょうど私がいない時だった。後日、牧師に呼ばれ、こう相談されたのだ。「お父さんが教会にいらっしゃってね。ご病気の方に『なんで化粧しないの?』とか『体重減らしなさい』とかおっしゃるので、困りました」困っているのは私です!思わずそう叫びそうになった。家でああなのだから、外ヅラを良くしようとしてもこのざまだ。私の父は小さな会社の社長をしていた。90年代はまだ、社員教育ということで、怒鳴りつけてもあまり問題にされない時代であった。社長が必要もないボディタッチを女性社員にしても、咎める人はいなかった。でも教会は違うのだ。イエスさまは差別されていた病人や、忌避されていた女性のことを、大事にされた。ここは神の国なのだ。だから牧師も気づいてくれたのだ。ずっと誰かに言いたかった。世界でただひとりだとしても、私が父にされてきたことを知っていてくれるなら、もう私の居場所に父が侵入してくることもなくなるかも知れないのだ。誰かに言いたい。ずっといのってきた祈りを、この瞬間も祈った。「主よ、どうぞ、伝わりますように・・・」つばを飲み込み、ふっと息を吐いてから、勇気を出して私は言った。「実は、実父から性虐待を受けているんです。」牧師はうろたえていた。どう言ったら良いか、判らないという風でもあった。しかしすぐに、気を取り直しこう言った。「悔い改めたらどうですか?」細くてボロボロで、手すりもないような吊り橋を渡るように生きてきた。一歩でも踏み外せば、谷底へ落とされる。だからこそ聖書だけが、支えだったのだ。私のためにイエスが十字架についたと聞いたから、恨みも恐れも、ぜんぶ祈った。だけどもう、無理だった。私の魂はバランスを失い、橋から落ちた。谷底は冷たく、心は凍り砕けた。体が硬直し、喉に石が詰まったように苦しかった。それでも絞り出すように、蚊の鳴くような声で、こう言った。「私が、悔い改めるんですか?」牧師はすぐ、失言に気づいた。そして何かしらの言葉をかけてくださった。しかし記憶がない。どうやって家に帰ったかも、覚えていない。あれから20年以上、この時のことを考え続けてきた。愛に溢れた牧師が、どうしてこの時「悔い改め」を勧めたのかを。まず「性虐待」の実態が共有されていなかった。性被害に遭った方々が、沈黙を強いられてきたからだ。被害者であるにも関わらず、抗拒不能であったことを証明し、事実認定されるための証拠を提示できるケースは希であろう。責任は加害者にあるのに、被害者に説明責任を求める取り調べや裁判が行われた上、原告敗訴になることがあまりに多い現状に、周囲が心配する。「あなたがこれ以上傷つかないように、黙っていなさい。」そう言われたことのある人は、多いのではないだろうか。性虐待は魂の殺人とも言われる。精神科にかかる必要も出てくるかも知れない。すると「あの人の精神的問題なんじゃない?」と問題をすり替えようとする力が働くこともある。そのように信じてもらえないことで、無力感は深まる。やがて行き場のない怒りは自分に向く。そうして「自分に落ち度があったからだ」など合理化していかざるを得なくなり、次に出会った被害者にも「仕方ないでしょ」と言ってしまうこともあろう。こうして被害者の声は抑圧され、性被害の実態は隠され続けてきたのではないだろうか。また、教会によっては強調されてきた純潔教育も、関係しているかも知れない。「性交渉は、神が結び合わせてくださった男女にのみ許されている。」聖書とともに、そのように教えられることが多かったように私は感じてきた。「性虐待」と伝えたけれど、それが「婚前交渉」と伝わったとしたら、悔い改めを勧めるという文脈になるのかも知れなかった。実は教会に行ってみて、クリスチャンの語りには型があるように感じていた。それは① 私は神を知らず、自己中心的に生きてきた。② しかしキリストに出会い悔い改め、信仰をもった。③ そして人との和解、病の癒し、仕事の成功、心の平安などが与えられた。というパターンである。私は教会を居場所にしたかった。けれど③にはほど遠かった。③に到っていないから、牧師は②を勧めたのだろうか、と考えたのだった。このように、ぐるぐるグルグル考えた。しかしこれらもまた、あまりにも辛い言葉を受け取るための、合理化なのかも知れなかった。いずれにせよ当時の私には、牧師の言葉は神の言葉であるかのように響いた。だから教会に行けなくなった。イエスさまだけは理解してくれているのだと信じ、それだけが支えだったのに。コンビニのバイト中も立ち尽くすようになり、オーナーに辞めるように言われてしまった。3万円の家賃を、これから払っていけるのか。電気もガスも、止められたらどうしよう・・・。頭が痛くて痛くて、どうすれば良いか分からなくなっていた。

性被害からの回復⑧「エクソダス」

前回の記事はこちらリリー・ロイ※トリガーアラート この文章には、暴力についての記述があります。はじめて教会に行ったのはたしか子どもクリスマス会。4年通ってしばらく離れて、成人してまた行くようになった。教会の礼拝では、たくさんの讃美歌を歌う。歌を歌うと新しい人になったような気がして、すべてを忘れることができた。礼拝では「使徒信条」という短い文章をみんなで声に出して読むコーナーがある。クリスチャンが何を信じているか、その内容がコンパクトにまとまったものだ。その教会のメンバーは20人くらい。なかでも90代のおばあちゃんはとても声が大きく、そしてみんなと全然テンポが違っていて心が和んだ。知的障害のある子どももいて、いつも折り紙をくれた。会話することは難しかったけれど「生きていてくれて、ありがとう」と言われているような気持ちがした。その子の存在をきっかけに、数人のハンディのある方々が教会に加わった。そこには不思議な安心感があった。教会には「クリスチャンらしさ」という見えない型のようなものがある気がする。でもメンバーが個性豊かであればあるほど、その「型」はふんわりと緩んでいく。その中に私の居場所もあると思えたのだった。そんな風にゆっくりと、人間不信は溶けていった。そっと家を抜け出す回数が増えていき、やがてコンビニのバイトもできるようになったのだ。それに気づいた母はキレた。「あなたは家族が嫌いでしょうけど少なくとも共同生活者なのよ。」そして「貯金はいくらあるの?」とストレートに訊いてきた。母は追い詰められていた。父はどこかでマインドコントロールの手法でも学んできたのかと思うくらい、母の存在を根底から揺さぶっていた。髪を掴んで引きずり回した翌日には、ダイヤの指輪を贈るのだ。母はアルコール依存症になっていた。当時は知らなかったのだが「ブラックアウト」と言うらしい。飲むと手がつけられないほど暴れ翌日にはまったく覚えていないのだ。その日もそうだった。「いい加減にしろ!出ていけー!」母はそう叫びながら、包丁を掴んで私を追いかけてきた。玄関付近にいた私は、靴もはけず裸足で逃げた。そうしないと、母は殺人者になってしまう。私はこの状況を、牧師に相談した。すると役員会で話し合ってくれたらしく、教会をあげての実家脱出計画がはじまった。そしてついにその日は来た。父母のいない日を調べ、その日時に家の前に3台の車が待機。5人の教会員が家に入り、あっという間に私の部屋は空になった。まるで旧約聖書の出エジプト記のようだと思った。神さまが祈りをきいて海を分け、私を父の帝国から脱出させてくださったのである。しかし、なぜだろう。母の暴力については理解されたのに、父のそれは伝わらない。そのことが私の人生を再び、奈落の底に突き落とすことになるのである。続きの記事はこちら

性被害からの回復⑦「教会を見つめた日」

前回の記事はこちら(リリー・ロイ)※トリガーアラート この文章には性被害、暴力についての記述があります。ある日の午後。「初めて買ったレコードは何?」そんな声がラジオから聞こえてきた。「レコード?」と若いアイドルが笑う。ふと昔を思い出す。幼い頃、ピンク・レディーの「UFO」のレコードを、買ってもらったこと。ピンク・レディーと一緒に踊るのが趣味だったのに、解散しちゃったこと。当時の大事件と言えばそれだったほど、平凡な子ども時代。大好きなテレビはドリフターズの「8時だョ!全員集合」。夜が楽しみだった。でも生理が突然やって来て「大人になったんだな」と父に言われて、私の性は脅かされるようになった。そんな折、おニャン子クラブ大好きな友人が「お菓子をくれるよ」と教会に誘ってくれた。聖書のお話しは難しかった。でもイエスさまを信じれば罪が赦されると聞いて、信じたいと思った。性暴力の怖いところは、被害者であるにも関わらず、自分が「汚れている」と思ってしまうところだろう。私に触れた人は病気になるような気がしていた。女の子としての魅力を失えば、加害者の関心が離れる気がして、お風呂も避けていた。それがいじめの理由にもなった。友人からの親しげなハグは拒否してしまうのに、団地の階段で待ち伏せしていた大学生には抵抗できない。自分を尊重できないから、大切にしてくれる人を遠ざけ、侵害してくる人は受け入れてしまう。そのためか私には、ひどい頭痛があった。それは初潮の頃からで、これを痛みというのかどうかも判らないまま、誰にも言えずにひとりで吐いていた。やがて高校生になり、同級生がユニコーンや久保田利伸に夢中になっている頃。父は唐突に「ロイには、湯治がいいんじゃないか?」と言った。家父長制が当たり前の我が家。父の発言は即、決定事項である。さらに父はこう告げた。「予算がないから同室だからな。」私はこの時から、死を願うようになった。父は出先で私を「愛人」だと紹介した。湯治から帰宅すると、母が怒り狂っていた。「この人は私の夫なのよ!」どうして母は、私でなく父を叱ってくれないのだろう。どうして食卓をひっくり返されても、出血するまで殴られても、この人は父を恋い慕うのだろう。父は面倒くさそうに、母を無視して私に言った。「この人は俺たちに、嫉妬しているんだよ。」父は母に愛されたいのだ。だから私を使っているのだ。私は子どもではないのか。どうして私は生まれたのか。居場所を失った私は、外をさ迷うようになった。森の中、店の軒下、団地の物置・・・安全に眠れる場所を探して歩き続けた。そしてかつて、お菓子をもらったあの教会の前を通りかかった。こんな夜中だけれど、もし「ここで寝かせてください。」と頼んだら、牧師は何と言うのだろうか?そんなことを思いながら、私はしばらくの間、教会を見つめていた。そんな暗黒の10代を生き延び、ついに私はこの教会で洗礼を受けた。そうしたら何もかもに耐えられなくなって、はじめて父に反抗した。父を平手で殴ったのだ。もちろん100倍反撃された。私は家族に会えなくなった。今まで普通の子どものように振舞ってきたことが、すべて嘘だったように感じた。だから実家の二階に引きこもるようになった。そしてあの夢を見たのである。イエスさまが小学校の校庭で十字架につけられているあの夢を。あれから私の枕元にはいつも聖書があった。そのみことばに、かすかな希望を置いて、ボロボロになるまで聖書を読んだ。 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている【主】のことば。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」旧約聖書 エレミヤ書29章11節続きの記事はこちら

企画展&ブックフェア「教会とセクシュアルマイノリティ ~イエスさまと私たちの歩み~」

『約束の虹ミニストリー』はセクシュアルマイノリティであるクリスチャンが安心して話し合い、祈り合える場所としてスタートしました。それから10年。たくさんの出会いがありました。zoom礼拝を通して教会としての役割も持ちつつ、既存の教会が、誰にとっても喜びの場所であるためにはどうしたらいいのか、虹ジャムというミーティングを通して、当事者とアライの人々が共に語り合ってきました。イベントや講演会、出版物や動画を通して私たちの話に関心を寄せてくださった方もたくさんいらっしゃいます。そんな約束の虹の10年の歩みを振り返り、また新たな一歩を踏み出すためのイベントを銀座教文館で開催します。ぜひ会いに来て下さい!展示イベント2025.5.17(土)〜5.22(木)10〜19時(日曜日は13時~/最終日は16時まで)教文館3F ギャラリーステラ入場無料教文館アクセスマップはこちらトークショー2025.5.17(土)15〜17時展示会場にて・予約不要(後日配信あり)「セクマイクリスチャン文化祭」作品大募集!会場では「セクマイクリスチャン文化祭」と称して、参加型の展示をしたいと思っています。「信仰✖️セクシュアリティ」という題で、イラスト、詩、短歌、写真、映像、手芸などお好きな形で自由に表現した作品を募集しております。そのままの展示が難しいものはスライドショー・ムービーにまとめてディスプレイで流す予定です。詳しくは下記アドレスまたはお問い合わせフォームまでお問い合わせください。qeshet22@yahoo.co.jp

性被害からの回復⑥ 「それなら、生きられるかも知れない」

前回の記事はこちら(リリー・ロイ)それから私は数年間、引きこもった。最初の3年はトイレにも行けず、部屋には異臭が立ち込めていた。鏡を見るのが嫌だった。自分の醜さばかりが目につく。特に鼻の毛穴の汚ればかりが気になるのだ。その神経質さと言ったら、その小さな穴の数を、数えるほどだった。そんなメンタルで聖書を読むと、大変なことになる。罪が示される聖句ばかりを抜き書きし、そこに反省文を書き込んだ。人に読まれたくないから、米粒に書くくらいの小さな字で、背中を丸めて書きに書いた。そんなある日、私は夢を見た。かつて通っていた小学校のグラウンドに、十字架が立っていた。そこに張り付けにされているキリストが、私に向かって声をあげていた。「この人たちの罪を、どうか赦してほしい。」十字架の向こうには、いじめっ子たちがいた。下校中に、石を投げた子。「きもい」と男子トイレに押し込んだ子。私の机に、生ゴミを入れた子・・・。そして父もそこにいた。彼らは十字架に気づいていない。しかし私には、見えている。傷だらけで血を流し、とりなし続けるイエスさま。私は思った。聖書は私を責めるためのものではなかったのか。「罪に気づけ」と迫るためのものではなかったのか。私はその日はじめて、「イエス・キリスト」という実存に出会った。十字架は私を救うため。それは私に恩を着せるためではなく、律法から解放するためだったのだ。かつての私は心から、使徒パウロのこの言葉に同意していた。「 私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(新約聖書 ローマ人への手紙7章24節)このローマ人への手紙7章でパウロは「律法とは何か」について答えています。当時パウロの宣教は、とても理解され難いものでした。あの出エジプト記などで有名なモーセの律法。その掟を守ることは旧約聖書を信じる民には必須なこと。律法によって神の民として生きる、それが彼らのアイデンティティだったのです。しかしキリストを信じたパウロは「律法を守ることによってではなく、信仰によって義とされる」と説きました。「それなら律法は何のためにあるのか。」その疑問に答えているのがこの7章です。律法によって罪を自覚し、自分でしたくないことをしていると自覚できるとしたら、やはり律法(聖書)は聖であり、正しく、良いものである(7:12)と、パウロは答えています。その上で、神のことばに対し、自分は完全に無力だと、認めているのです。さて私は一体何のために、聖書を書き写していたのだろうか。それは罪赦され、きよめられたいからだった。「キリストの十字架の贖いを、信じるだけで赦される」。頭では理解していた。しかし過去の侵入によって、何度も上塗りされる、汚される感覚に対し、私は完全に無力だった。それをぬぐうことができるとすれば、それは神による他あるまい。私は罪と格闘し、キリストに出会って180度変えられた、パウロのストーリーに耳を傾けるようになった。クリスチャンになる前のパウロは、ユダヤ教の最高の教育を受け、律法を厳守していました。その彼に悪いニュースが届きます。何とあの、十字架刑に処せられ呪われたイエスが、復活したと伝えている輩がいる。彼らは聖霊を受けたと言い、何千人もがバプテスマを受け、共同生活をしていると言うのです。「そんな新興宗教は許せない」パウロは義憤にかられ、迫害をはじめます。当時の彼にとって、彼らを捕らえ、牢に投げ入れることが、神への誠実でした。しかしパウロ(別名はサウロ)は突然、天からの光に照らされるのです。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」(新約聖書 使徒の働き9章4節)これはキリストからの語りかけだったのです。パウロは変えられクリスチャンとなりました。そして律法を守らず、汚れた生活をしていると認識されていた異邦人と、ともに生きる宣教者になったのです。「汚れ」による分断を、福音によって超えたのです。そんなパウロの格闘と、私の格闘を、重ねて考えることは赦されるだろうか。それはあまりに畏れ多い。しかし、きよさへの渇望という意味では、似ているような気がするのだ。厳格に教えを守ることによって、ピンセットでつまむように、ひとつひとつ汚れを除去していく。そんなパウロがこの結論にたどり着いたのは、驚くべきことだ。「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ人への手紙8章1節)「キリスト・イエスにある」これはどういう意味なのだろうか。私はあの十字架の夢を見た時、それが解ったような気がした。きっとイエス・キリストはいる。おそらく私を思ってくれている。私は今も、汚れに苦しんでいる。しかし私がキリストにあるなら、罪に定められることは決してないと、聖書に書いてある。それならば、私は生きられるかも知れない。私はその夜、聖書を抱いて眠りにつくことができたのだった。続きの記事はこちら

性被害からの回復⑤ 「静けさを得るために」

前回の記事はこちら(リリー・ロイ)まただ、体が重くなる。暗い沼に沈んでゆく。さっきまで診察室にいたはずなのに、その床が溶けていく。過去の話をしていた。あのおぞましいことの輪郭をなぞった。内側には達していない。でも限界だったのだろう。「助けて・・・体に力が入らない・・・」すると遠くから、精神科医の声がした。「右手で左足、左手で右足をタッチして!」そして「右、左、右、左」と指示が聞える。それに何んとか従おうと、体を少しずつ動かす。そして私は戻ってきた。診察室の床の上、キャスター付きの椅子に、いつものように座っていた。白い壁からは別の患者の声がかすかに聞こえる。ブラインドからは午後2時の、あたたかな陽光が差し込んでいた。またある夜、私は叫んでいた。「やめて!」夫は慣れたものだ。すぐに起こす。そして「大丈夫だよ」と言ってまた眠る。私は怖くて眠れない。だから何度も施錠を確認する。音が気になる。廊下に響く声におびえる。身体にはまだ、子ども時代のあの夜のこわばりが、残存している・・・。過去は日常に侵入する。これをフラッシュバックと言うらしい。自助グループでトラウマ体験を語り合う時、トピックになることも多い。要するに「よくあること」なのだろう。「トラウマ治療の目的は、許すこと、忘れることではない。」担当医はそう言ってくれた。症状を乗りこなすこと。まるでサーフィンのように、フラッシュバックの波が来ても、やり過ごすスキルを身に着けること。これが治療の目的であった。まず勧められたのが「寝逃げ」である。不眠が続き、日中も緊張している。だから希死念慮が強まった時、考えを止めて寝るための薬をもらった。夜中に記憶に侵入された時は、むしろ眠らない。夢で続きを見てしまうからだ。だからラジオをつける。平和が耳から入ってくる。ハーブティーをひと口。そして鏡を見る。映るのは、あの家ではない。ここは関東だ。トイレにも脱衣所にも、鍵のかかるドアがある。私は決めた。何度確認してもいい。施錠されているか、冷蔵庫に食料があるか、家に他の人が隠れていないか。私はまじめなクリスチャンだった。信仰が安全をくれると信じて、教会で良しとされることを、なるべくやろうと務めた。だから葛藤があった。こんなに不安なのは、不信仰だからなのだろうか。絶えず演技し笑顔を作るが、歯は食いしばっていた。葛藤は葛藤を生み、ついに限界が訪れた。だから引きこもった。静けさを得るために。それはフラッシュバックという大波に、のまれてしまわないための、精一杯の防衛であった。続きの記事はこちら

性被害からの回復④ 「トラウマ治療の同伴者たち」

前回の記事はこちら(リリー・ロイ)人生って孤独なものだ。仲間と分かち合えた、そう実感できたこと。やっぱり伝わらない。そう諦めたこと。渋谷のスクランブル交差点のような人波にもまれながら、内側では叫んでいる。居場所が欲しい。理解されたい・・・と。トラウマ治療は、とりわけ孤独だ。信じられない事件。心にヒビが入る。そこに更なる圧力。そうして割れてしまった魂で、精神科に行く。病名をもらい、投薬がはじまる。「先生、薬はいつか止められますか?」それは答え難い質問だろう。5分程度の診察時間。しんどい旨を、断片的に語るけれど、それが一体、何になるのだろう。そんな毎月の診察を続けて5年。先生は、トラウマ治療で有名な精神科医を紹介してくれた。その2回目の診察で、思わぬことが起きたのである。先生は突然、催眠をかけた(と私は感じた)。そして心は過去へと旅をし、ついに一番古い記憶へと達した。それは何てことのない、保育園でのワンシーンだった。しかしそれは、大人に不当に扱われたと感じた、最初の記憶だった。目覚めると、そこは診察室だった。そして、激しく全身が痛んでいた。その痛みは治療を離れ、10年経った今も、日々変わらずここにある。ところで、この連載第1回で、私が結婚したことを書いた。こんなやっかいな自分と結婚する人がいるなんて、ありえないことだと思う。その夫とある日、セレモニーを行った。それは奇想天外で、クリスチャンならなおさら、反対されるにきまってるようなことだった。私は、まだ存命中の父の葬儀を執り行ったのだ。式次第を用意し、讃美歌も歌った。そして聖書を開き、想いを語った。以下は新約聖書 第2コリント5章14節の引用である。「 というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。」このことばにすがり、私はこう祈ったのだ。「イエスさま。私はもう父と接したくありません。どうか死んだことにしてください。聖書にこうあるのですから、すでに父は死んだのです。そう信じて、これから生きていけるように助けてください。イエスさまの御名によってお祈りします。アーメン」こんな聖書解釈は、きっと間違っている。にも関わらず、夫は静かに「アーメン」と祈ってくれたのだった。聖書には、人はいのちの源である創造主との関係を自ら絶ったとあります。それは希望が湧き出る泉を、捨てたようなものでした。そういう意味で人は、体は生きていても、すでに死んでいるのかも知れません。しかし上記の聖書の言葉にある「死」には、異なる意味があると思います。それは人を神につなぎ直し、新たに生かすための「死」ではないでしょうか。キリストは、全人類の神との断絶である「死」を身代わりに引き受け、十字架で死なれました。それならばすべての人はこの十字架に、自分の絶望を重ねることが許されるのではないでしょうか。そのようにイエスに重荷を担っていただけるなら、きっとキリストの復活の命をもいただけるのではないでしょうか。しかし、当時の私にはそんな希望はなかった。ただ死にたかった。あるいは父に、いなくなってもらいたかった。だからこの葬儀を執り行った。この忌まわしい父との関係を、神に絶ってもらいたかった。聖書はさらに、こう続く。「キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」私はこれから新しい瞳で、自分と人を見ることができるようになるのだろうか。いつかこの憎しみから、這い上がる日が来るのだろうか。聖書のことばはなおも続く。 「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」私はあの専門医からのトラウマ治療を、止めることにした。もとの精神科医に帰り、それを報告すると、いたく反対された。「治療を中断するなんて、手術で患部を開いた常態で生きるようなものですよ。」それから先生は、診察時間を30分に延長してくださった。それは看護師の入室さえも許さない、真剣な傾聴であった。そこで私は過去から「今ここ」に還ってくる術を、習得できたのである。続きの記事はこちら

性被害からの回復③「安心して語り、聴き合うために」

前回の記事はこちら(リリー・ロイ)さて前回の予告通り、この性被害からの回復の証し第3回で「傷を広げない話し方と聴き方」について書きたいと思う。これはあくまで私が個人的に考えてきたことだ。私はひとりのサバイバーにすぎず、専門家ではない。しかし、このことを当事者が述べた文章に出会ったことがあまりないため、参考までに記してみたい。まず、人生ではじめてのカミングアウトにおいて、望ましいと思うことを書いてみよう。相手と環境選びは重要だ。本当にこの人でいいのか、時間をかけて探りたい。そのためにより一般的に、暴力と理解されていることから話してみる。例えば「殴られたんだ」と話してみて、その人は秘密を守るか、自分の身になってくれるか。「あなたにも問題があった」などの、理解のないアドバイスをしないか。そうやって探った結果、この人ならと思える人やグループを見つける。1対1の関係だと依存してしまうかも知れない。専門家なら会える時間に制限が設けられていることが多いけれど、友人の場合はその後の距離感に気をつけたい。はじめはほんの少しだけ話す。そして自分の心身の変化を観察する。あの夜のように硬直して、痛みや息苦しさが出るかも知れない。フラッシュバックに気づいた時、現実に戻るための動作を決めておこう。できればトラウマ治療ができる専門家と、過去から「今ここ」に戻る方法を練習しておきたい。体が動きにくくてもできることから始める。指で顔をタッピングしたり、ぬいぐるみをなでるとか。動けるようになったら、被害にあった時は存在していなかった音楽を聴いてみる。淡々とできる家事などの作業も良い。これは加害者から離れた後の25年間で、私が身に着けたノウハウである。実際の初カミングアウトは大失敗。教会で牧師夫妻に打ち明けて「悔い改めたらどうですか?」と言われてしまった。自分だけでは出来事を客観視できないため、あいまいにしか伝えられなかった。牧師はきっと「罪悪感や恥は、イエスさまが解決してくださいますよ」と伝えたかったのだと思う。残念ながらその後、その教会には行けなくなってしまった。そんなリスクのあるカミングアウトなら、しない方が安全だろうか。「あなたがこれ以上傷つかないために、黙っていなさい」そんな風に言われた経験もある。しかし、カミングアウトは生きるために必須だと思う。最も重要なことをひた隠しにして、小学生が普通に振舞おうと努力している様を思い浮かべて欲しい。「無理しないで」そう思われるかも知れない。しかし被害を訴えたくても、証拠が提示できない。児童虐待防止の法律ができるのは、21世紀になってからである。しかも教会では父の日礼拝で「お父さんに感謝しましょう」と教えられることがある。学校でのいじめですら、先生がいじめっ子の味方をする場合もある。だから自分の心を捻じ曲げる。私が汚れているからだ。性欲があるからだ。きっと私が求めているから、こんなことをされるんだ。そんなストーリーのポルノだってたくさんある。有名な心理学者だって、それは子どもによくある妄想だって言う。父より私の言うことを信じてくれる人なんかいない・・・。被害者はこのような自動思考に苦しめられる。そこから脱出したい。だからカミングアウトが必要なのだ。そして「酷いね」「あなたは何も悪くないんだよ」そう言ってもらわなければ、新しく生き直すことは、不可能なのではないだろうか。この「自分が原因説」をなるべく早くに覆しておかないと、大変なことになる。この原体験を薄めるために、どんどん性体験を重ねるかも知れない。親からされるより、他人からの方が、ずっと受け入れやすい。そして自分はこういうキャラだから・・・と思い込みを深めることだってあり得るのだ。だから思うのだ。イエスさまを信じることの結実は、人それぞれだと。聖書に出てくる「罪」とは、的外れという意味だそうだ。悔い改めは、的外れからの方向転換。私を贖うために十字架で死に、よみがえったキリストを信じ、神の子とされること。そして栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられる。(第二コリント3:18)それはキリストと似た人格へと変えられることだと教わった。そして罪の束縛からの解放だと。でも人生のスタート地点は人それぞれなのだ。イエスさまを信じて、ずっと怒ってきたことに気づけた。神の子とされたから、作り笑いを止められた。素直に泣けた。正直に祈れた。そんな結実だってあるのである。話をもとに戻そう。この文章で目指しているのは「安心して被害体験を語り、聴き合うためには?」ということである。はじめからグループで語れるかどうかは人それぞれだと思う。解離性障害などを呈している場合は、まずは精神科へ行った方がいいかも知れない。トラウマにより起こる症状は様々だと思う。良い専門家につながることは、当事者ひとりでは困難である。深い話は聴けなくても、つながりを応援することはできるかも知れない。カウンセリングは必要だがとても高価だ。症状によって医療費がかさみ、そこまで余裕がない時、地域生活支援センターなどの無料相談で、福祉サービスにつなげてもらえるかも知れない。当事者は追い詰められている。はじめからグループで冷静に話すことはできないかも知れない。だからまずは生活を外側から立て直す。できるところから理解者とともに取り組む。そして少しでも生活が安定してきたら、少しずつ少しずつトラウマを語ることが叶うかも知れないと思う。最後に、先述の牧師について書いておく。先生は人生の方向転換をした。新たに学ばれ、現在はひきこもりの子どもを支援する職についている。カミングアウトは難しい。受け止める側も話す側も、癒しが必要なのだと思う。聴くのが得意な人もいる。それでも知らないことは多い。人は自分ひとりの人生しか知らない。だからお互いに配慮できたらいいなと思う。聖書は神のことばだと、私も信じている。それでも自分が自分にあてはめてきたように、聖書のことばをそのまま人にあてはめることはできないのだと知っていることは、隣人愛の基本なのかも知れない。深い体験を語り、聴き合うことは難しい。でも希望はある。それはイエス・キリストがすべての人のすべての体験を知っていてくださるということ。神さまがどんな祈りをも、受け入れてくださるということ。だから話すこと聴くことを、諦めたくないなぁと思わされている。続きの記事はこちら

性被害からの回復②「神のまなざしを知った日」

前回の記事はこちら(リリー・ロイ)※トリガーアラート この文章には暴力についての記述があります。冷たい金属の感触が頬によみがえる。それを打ち消すために食べる、食べる、食べる。止まってはいけない。食べるためのバイト。猛スピードで自転車をこぐ。自分でつけた傷を長袖で隠しながら走る。そしてまた食べる。道端で、公園で。帰宅後もずっと。食べて、食べて、食べ続ける日々。それが私の20代だった。性被害からの回復を書きはじめて、今回が2回目となる。10才頃からはじまった父からの「それ」は、実家を離れてからも何度もよみがえった。生きるためには、その感触をなくすしかない。麻痺状態を作る方法は色々だ。それらの依存症はどれも苦しい。でも記憶の再現は、もっと辛い。父からの「それ」にはジレンマがあった。子どもだから、養育されなくては生きられない。でも恐怖で眠れない。それで病が重くなる。だから実家を出られない。精神は極限状態。「あいつが死ぬか、自分が死ぬか。」それで死を願うようになった。「やめよ。知れ。わたしこそ神。」(詩篇46:10)という聖書のことばが好きだ。人は聖書を伝えてくれる。でも闘いを止めさせ、静まりをくださったのは、神さまだなぁと思う。父が来られない遠くに引っ越したこと。新しい人間関係。語り合える仲間。絶対に秘密を守ってくれる自助グループ。そうして少しずつ、男性恐怖から回復していった。回復は行きつ戻りつで、人に近づきすぎたり、遠ざかりすぎたりした。バウンダリーが壊れていて、危険人物とばかり親しくなる時期もあった。そんな風に何十年も練習して、自分にとっての「安心」を作れるようになった。教会も練習の場だった。熱心な時期も、このまま行けないかも知れないと思う時期もあった。「信仰」が思考停止のための装置になった時期もあった。「感謝」で口を塞がれるように感じる時期もあった。色んな考えがあるんだな。みんな本当は苦しいんだな。過ちもたくさんあるんだな。そうやって揉まれて人を知った。聖書には女性への残忍な暴力が描かれている箇所がある。私はそこに、神のまなざしを見るようになった。「どうして黙って見ているの!?」何度も神に叫ぶように祈った。神が嫌いだった。それでもイエスさまは、敵であった私にさえ和解をくださった。(ローマ5:10)あの刃物の感触を、忘れることはできない。それでもイエスさまは私が少しずつ「信じる」ということを取り戻せるように、たくさんの出会いをくださった。そして、あの十二の部分に切断された女性(士師記19:29)への神のまなざしが、私の中で変わった。それは慟哭であり、内臓がえぐられるような御霊のうめき(ローマ8:26)ではなかったか。それは世界中の理不尽へのうめきと重なる、新天新地を待ち望む産みの苦しみなのだろうか。解らない、判らない。分からないけれど、ともに叫んでくださる神がいる。そのお方が私たちに使命をくださる。だから私たちは生きている、いや生かされているんだと思うのだ。答えは出ない。だから私たちは語り続けるのだろう。しかし何でも語れるわけではない。そこが性被害によるトラウマの難しいところである。次回は私の「語るために気をつけてきたこと」そして「相手を傷つけずに聴くこと」について書いてみたいと思う。次回の記事はこちら

性被害からの回復①「虹に出会うまでー40年の荒野を超えてー」

(リリー・ロイ)※トリガーアラート この文章には性被害についての記述があります。夜が怖い。まるで布団から体が浮いてるみたい。脱力できない。うとうと眠りかける。ダメ、油断は禁物。だって、あの人が来るかも知れないから。誰にでも強いられた沈黙がある。こんなにも生きづらいのに、世の中より教会の方が「性」について語れない。言語化されない感情は、記憶の海に沈む。発酵し堆積し、体も重い。そして演技することを覚える。クリスチャンらしく振舞えば、とりあえずの居場所は得られる。でも仮面は壊れる。不眠は何十年も続いている。もうどこにも属せないのかな。そんな時、この虹ジャムと出会ったのでした。ここでセクシャルマイノリティの仲間ができました。生きづらさは変わらない。でもひとりじゃない。性被害の回復には時間がかかります。とてもデリケートで、ここで語れることはほとんどない。でも孤軍奮闘は終わった。暗い世に、仲間が灯台のように輝いている。木漏れ日みたいな勇気をくれる、みんなが確かにここにいるのです。10才から、それは始まった。本当は気持ち悪かった。でも何とか合理化しようとした。この行為は、自分も望んでいるのだと思い込んでいた。20才になって、自助グループにつながった。でも性のことは話せない。身体的暴力を受けてきたことは、少し話せた。同時に教会にもつながった。洗礼も受けた。熱心に布教するようになった。クリスチャンは純潔を守るべき。そう信じることで、心を守った。本当はトラウマで、性のことを考えられなかっただけだった。30才で婚約。すると教会で突然、性について教えられた。急に性を強いられたかのような違和感を覚えた。そして50才で乳がんになった。どうして全摘なの?性について揺さぶられ、傷跡から膿があふれた。その時イエスさまが心の扉をノックしているのが分かった。「心を開いてほしいんだ」「自由になってほしいんだ」厳しい人生。聖書だけが友達だった。新約聖書のガラテヤ人への手紙には、こんな言葉がある。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」ガラテヤ人への手紙 2章19~20節より父は初潮を迎えた私に「大人になったんだな」そう言って、胸を掴んできた。その胸を全摘する。それはイエスさまとともに、十字架につくことではないだろうか。そして私はイエスとともに復活し、新しく生きる日々が始められるのではないだろうか。聖書には神がどんなお方か、啓示されています。エデンに住めなくなった人に、なおも語る神。モーセに律法を与え、礼拝へ導く神。士師の時代から王が治めるようになってもずっと、まるで反抗期の子を見捨てられない親のように語り続ける。でも人は神からもらったものを、壊すことしかできない。割礼派の教えもしかり。だから神は人となられた。その破壊を身に受け、十字架で死なれた。死の力を壊し、人にいのちを与えるために。あなたももしイエス・キリストの十字架と復活に自分を重ね、あなたを造られた神に信頼するなら回復が与えられる。これがこの聖書のことばの語っていることではないかと思ったのです。手術が終わり、私は虹ジャムで語りはじめました。過去よりもっと大きくなった、イエスさまとの日々のことを。仲間はどんどん増えていきます。律法的だった私から新しい讃美があふれ、鼻歌に合わせて踊ったりしている自分に気づき、思わず笑ってしまいます。今私が生きているのは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。性被害がもたらすもの。身体が常に硬直し、過敏になること。人間不信。肝心なことを回避し、会話が表面的になること。ぬぐえない罪悪感と恥。人体への嫌悪。人格の乖離、、、。その影響は私の場合、いくつもの難病になって現れています。それとの付き合いは一生続くかも知れません。同様に「性」のことを語れないできた方々の苦労も、きっと甚大でありましょう。理解は難しいかも知れない。でもひとりひとりが異なることを知ることができたら、語ることが許される、安心な場があったら。それが願わくばキリスト教会であったら。そんなことを願いつつ、この証を閉じたいと思います。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。あなたの傷も、癒されていきますように・・・。次回の記事はこちら